亀山市立野登小学校6年生来館
「中世までの亀山・近世の亀山」
平成28年9月8日(木)、亀山市立野登小学校6年生が来館してくれました。
子どもたちは、1学期に能褒野神社で話を聞いたり能褒野王塚古墳を見たり、井田川の古墳公園を見学したりしたそうです。そこで、井田川茶臼山古墳について、復元された石室や出土品などを見ながら、さらに詳しく話を聞きたいという要望をいただきました。また、1学期に学習をした豊臣秀吉が行った検地や朱印状について、今後学習するペリー来航の頃の亀山藩の情報収集についても話を聞きたいということでしたので、これら3点に絞って資料を用意したり話をしたりさせてもらいました。前半は常設展示室で、後半は講義室で画像や実物資料を見ながら解説しました。
<井田川茶臼山古墳>
展示資料の埴輪を教科書で確認 | 井田川茶臼山古墳の復元した石室 |
銅鏡の複製、亡くなった人と一緒に埋葬 | 実際の石室の平面図を画像で説明 |
子どもたちは、まず展示資料の埴輪の大きさに驚いていました。教科書で古墳づくりの様子を確認し、このような大きさの埴輪が古墳の周りに並べられることから、古墳の大きさを想像することができたのではないでしょうか。また、石室の大きさや埋葬品から、井田川茶臼山古墳は北勢地域を代表する王を埋葬していたのではないかという話を聞きました。 |
<豊臣秀吉の朱印状・検地>
朱印状、「池山安楽寺村」と書いてあるね | 江戸時代の野登地区は亀山領だね |
説明を読んでメモをする児童 | 秀吉は同じ条件で測量をしました |
豊臣秀吉の検地が実際に亀山でも行われ、秀吉から藩主に宛てた書状に自分たちの住んでいる地域の名前が書かれていることを知り、教科書の内容と地域をつなげることができた子どもたちでした。 |
<ペリー来航の頃の亀山藩の情報収集>
ペリー来航の頃の資料の前で解説 | 野登に関係する御贄神事 |
亀山藩の家老の家で保管されていた資料 | 内容を読んでもらう子どもたち |
ペリー来航については、亀山でも情報収集がなされたことが、石川家家老の家に残されている資料からわかります。それらの資料が、今まで大切に残されてきたことに子どもたちは驚いていました。 また、ペリー来航や嘉永7年の大地震などの世情不安から野登を流れる御幣川沿いの村に、伊勢神宮から御贄神事の再興依頼があったことも知りました。自分たちの地域に関する内容は特に興味をもって聞くことができたことと思います。 |
<自由見学(展示室・実物資料)の様子>
陣羽織の前で話を聞く | 説明を読んで熱心にメモを取っています |
『東海道名所細見記』、「細かい絵だねえ」 | 気に入ったものを写真にとりました |
銅鏡を順番に持ちました「重い!!」 | 先生も一緒に熱心に解説を聞いています |
<提示資料>
・画文帯神獣鏡(複製)
・豊臣秀吉朱印状(文禄3年9月21日 堀尾帯刀宛知行目録)
・豊臣秀吉朱印帳(伊勢国鈴鹿郡内岡本下野守宛知行方目録帳)
・合衆国伯理璽天徳書翰和解
・軍用手配之略絵図
・異国船碇泊場並応接場所絵図
・アメリカ二番目大将アダムスの肖像写
・嘉永6癸丑年異国渡来御達向其外書抜写 甲
・嘉永7甲寅年【改正安政】安政2乙卯年 異国渡来御達向其外書抜写 乙
・北亜墨利加軍船蒸気船
・諸御大名御堅メ場所
・御先手一隊備立
・薩摩沖に異国船が来ている事を飛脚が亀山で話したことの覚書