ずっと昔にくらした人たちは、粘土を使って色々な道具を作っていました。どのように作っていたのでしょうか。道具に残された跡から見てみましょう。
|
1.甕
地蔵僧遺跡〈川崎町・川崎小学校区〉 1700年前(4世紀) まちなみ文化財室所蔵
甕の口の部分が3分の1ほど残っています。内側を見てみると、きれいな形にした跡が確かめられます。ヘラで削った後、指で横方向になでて、最後に縦方向にでなでています。縦方向の指の跡が特によく見えます。外側には、櫛の形をした木で描かれた飾り(文様)がつけられています。
|
|
甕(地蔵僧遺跡)
|
|
2.ミニチュア土器(壷)
地蔵僧遺跡〈川崎町・川崎小学校区〉 1500年前(6世紀) まちなみ文化財室所蔵
指で整えた跡が、内側にも外側にもはっきりと残っています。特に、口の部分は、ガタガタのまま整えられずに焼かれています。少し雑な作り方にも思えます。
|
3.土師器壷
於登志遺跡〈山下町・神辺小学校区〉 2100年前〜1950年前(紀元前1世紀〜1世紀半ば) まちなみ文化財室所蔵
壷の底に葉っぱの跡が残っています。粘土をのせる台と粘土の間に葉を敷いて作っていたことがわかります。土器を作る時、完成した時のことをイメージして、土器の粘土をはがしやすい工夫をしていたようです。
|
|
土師器壷(於登志遺跡)
|
|
4.円筒埴輪
城山古墳〈みどり町・井田川小学校区〉 1500年前(6世紀) 三重県埋蔵文化財センター所蔵
5.須恵器坏蓋
沢遺跡〈山下町・神辺小学校区〉 1500年前(6世紀前半) まちなみ文化財室所蔵
蓋の表側にはハケの跡があります。このハケの跡がきれいな円形をしていることから、ロクロを回しながら整えたことがわかります。
|
須恵器坏蓋(沢遺跡)
|
|
6.日本書紀巻六
約350年前(寛文9年(1669)) 亀山市歴史博物館田上家資料
垂仁天皇32年(3)7月己卯(6)条には、埴輪作りの始まりの伝説が記録されています。日葉酢媛(垂仁天皇の皇后)が亡くなり、墓に葬ることになります。これまでは、生きた人を一緒に埋めていましたが、良くないということで、代わりに土で作った人や馬の形をしたものを考えだし、墓に立てることになったのです。これを「埴輪」と呼ぶことになりました。
|
日本書紀巻六
|
|