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凡例・自由研究ノート等土で作る煮る・炊く蒸す盛りつける蓄える祀る土の利用昔と今のくらしさいごに

2.煮る・炊く

 毎日まいにち食事しょくじでは、土器どき使つかって料理りょうりをしていました。ここでは、みずとももの加熱かねつする”る・く”ための調理器具ちょうりきぐ紹介しょうかいします。かたちがかわるとともに、便利べんりになっていきます。

かめ

 くちおおきく、そこちいさい釣鐘つりがねさかさにしたようなかたち土器どきを「かめ」とびます。ささえをしてけ、煮炊にたきするための調理器具ちょうりきぐとして使つかわれました。いまのナベのようなものです。


7.かめ煮炊にたきする道具どうぐ
   於登志遺跡おとしいせき山下町やましたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 2000年前ねんまえ(1世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 くろくすすけています。にかけて使つかったときに、ススがついたとかんがえられます。ふちにはきざみがつけられ、どうには、くしかたちをした道具どうぐでつけられた直線ちょくせん波線なみせんかざり(文様もんよう)があります。
このかめは、弥生時代やよいじだいはかからつかりました。ススのあとがあることから、日常にちじょう使つかっていたかめはかれた、もしくははかでおまつりをしたということが想像そうぞうできます。
甕(於登志遺跡)
かめ於登志遺跡おとしいせき



8.かめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1900〜1800年前ねんまえ(2〜3世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 上半分うえはんぶんくろよごれています。にかけて、ナベのように料理りょうり使つかいました。このときに、ススがついたのでしょう。かめおおきさから、こめるために使つかったのだろうとかんがえられます。
 ふちにはのヘラできざんだ文様もんようがあり、どうおなじくヘラでなでてととのえています。
甕(地蔵僧遺跡)
かめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



9.かめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1900〜1800年前ねんまえ(2〜3世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 全体的ぜんたいてきにススでくろよごれています。さきほどよりぶりですが、こちらも煮炊にたきするナベとして使つかわれたとかんがえられます。
 模様もようはなく、容器ようき部分ぶぶんのヘラで、ふちよこになでてととのえています。
甕(地蔵僧遺跡)
かめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき


10.かめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1700年前ねんまえ(4世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 かめ上半分うえはんぶんくらいです。外側そとがわには、くろいススがたくさんついていますね。料理りょうりするとき使つかわれたことがよくわかります。
 どうると、のヘラでつけた文様もんようがあります。使つかわれたヘラは、とてもあらいものでした。
甕(地蔵僧遺跡)
かめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



台付甕だいつきがめ

 かめちいさなだいがついたあたらしいかたちかめ登場とうじょうします。だいをつけた理由りゆうになります。①かめ部分ぶぶんたかさをたかくすることで、はやえるようになるから。②たいらなだい安定あんていするから。など色々いろいろかんがえられますが、まだはっきりとした理由りゆうはわかっていません。
 だいきましたが「かめ」ですので、「かめ」とおなじくにかけて煮炊にたきする調理道具ちょうりどうぐとして使つかわれました。


11.台付甕だいつきがめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1800年前ねんまえ(3世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 おおきさは、くちけい17.4cm、うつわたかさ19.5cmです。表面ひょうめんには、のヘラでなでてととのえたあとのこっています。うっすらとくろよごれが確認かくにんできますので、にかけて使つかわれたことがわかります。
台付甕(地蔵僧遺跡)
台付甕だいつきがめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



12.台付甕だいつきがめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1700年前ねんまえ(4世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 だい部分ぶぶん以外いがいは、全体的ぜんたいてきくろなススがのこっています。にかけてナベのように使つかわれたことがよくわかります。
台付甕(地蔵僧遺跡)
台付甕だいつきがめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



13.台付甕だいつきがめ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1500年前ねんまえ(6世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 たかさ33.6cm、くちけい15.7cmとすこ大型おおがた台付甕だいつきがめです。外側そとがわには全体的ぜんたいてきにススがついています。内側うちがわてみると、くろいコゲのようなあとのこっています。ナベとして使つかったことがよくわかります。
 外側そとがわ文様もんようは、どう部分ぶぶんにはっきりえます。のヘラでなでてととのえたあとがあります。
台付甕(地蔵僧遺跡)
台付甕だいつきがめ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



把手付鍋とってつきなべ

 これまでてきた煮炊にたよう道具どうぐであるかめとは、かなりかたちわりました。ふたはありませんが、がついていま土鍋どなべちかかたちになっています。煮炊にたきするなべとして使つかいました。


14.把手付鍋とってつきなべ煮炊にたきする道具どうぐ
   網中遺跡あみなかいせき辺法寺町へんぼうじちょう野登小学校区ののぼりしょうがっこうく〉 1300年前ねんまえ(7世紀末せいきまつ〜8世紀初せいきはじめ) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 このなべは、ススがついておらず、すりってもいないため、実際じっさい使つかっていないようです。さらに、復元ふくげんされたかたちをみてみると、そこ部分ぶぶん破片はへんをくっつけていますので、このなべ破片はへんとして発見はっけんされたことがわかります。つまり、使つかっていないのにられていたということです。そして、発見はっけん場所ばしょ住居跡じゅうきょあと。これらのことから、住居じゅうきょとき風習ふうしゅうとしてあたらしいなべったという可能性かのうせいかんがえられます。
把手付鍋(網中遺跡)
把手付鍋とってつきなべ網中遺跡あみなかいせき



15.把手付鍋とってつきなべ煮炊にたきする道具どうぐ
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 1300年前ねんまえ(8世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 たかさ16.7cm、くちけい24.4cmのなべです。
把手付鍋(地蔵僧遺跡)
把手付鍋とってつきなべ地蔵僧遺跡じぞうそういせき



伊勢型鍋いせがたなべ

 南伊勢みなみいせ地域ちいきでよくつかるかたちなべのため、「伊勢型鍋いせがたなべ」とばれています。はなく、ふちかえされていること、鍋部分なべぶぶん楕円形だえんけいになっていることがおおきな特徴とくちょうです。


16.伊勢型鍋いせがたなべ煮炊にたきする道具どうぐ
   糀屋垣内遺跡こうじやがいといせき羽若町はわかちょう亀山西小学校区かめやまにししょうがっこうく〉 700年前ねんまえ(14世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 外側そとがわにはいままでとおなじようにススがついていますから、料理りょうり使つかわれていたことがわかります。
伊勢型鍋(糀谷垣内遺跡)
伊勢型鍋いせがたなべ糀谷垣内遺跡こうじやがいといせき



17.伊勢型鍋いせがたなべ煮炊にたきする道具どうぐ
   小野遺跡おのいせき小野町おのちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 600年前ねんまえ(15世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 破片はへんをはりあわせた部分ぶぶん注目ちゅうもくしてみてください。とてもうすくつくられています。ここまでうすなべると、とてもはや料理りょうりできたかもしれませんね。 このころには、てつなべがつくられていましたが、まだひろ使つかわれていなかったようです。そのために、こんなにうすつちなべがつくられたのではないでしょうか。
伊勢型鍋(小野遺跡)
伊勢型鍋いせがたなべ小野遺跡おのいせき



土師器はじき羽釜はがま

 粘土ねんどつくられた、かまどでこめくための道具どうぐです。かまはね(つば)の部分ぶぶんは、かまどにひっかけるためにつけられました。


18.土師器はじき羽釜はがま煮炊にたきする道具どうぐ
   小野遺跡おのいせき小野町おのちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 700年前ねんまえ(14世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 全体ぜんたいにススがついていますので、かまとして使つかわれたことがよくわかります。
 また、羽釜はがまがあったことから、ここで羽釜はがまをひっかけるかまど使つかわれていたこともわかります。
土師器羽釜(小野遺跡)
土師器羽釜はじきはがま小野遺跡おのいせき



19.土師器はじき羽釜はがま煮炊にたきする道具どうぐ
   沢遺跡さわいせき山下町やましたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 600年前ねんまえ(15世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 こちらの羽釜はがまはねうえかた部分ぶぶんあながあります。ここにひもなどのとおして羽釜はがまげて使つかいます。どうも、かまどこめ以外いがいにも、五徳ごとくなどのうえ直接ちょくせついて、なべのように使つかうこともあったようです。
土師器羽釜(沢遺跡) 土師器羽釜(沢遺跡)
土師器はじき羽釜はがま沢遺跡さわいせき




20.炭化米たんかまい
   亀山城跡かめやまじょうせき東丸町ひがしまるちょう亀山西小学校区かめやまにししょうがっこうく〉 500〜400年前ねんまえ(16〜17世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 けたもみです。とてもたくさんののこりがつかったなかにありました。わら一緒いっしょつかっていることから、亀山城内かめやまじょうない東三之丸ひがしさんのまる)のカマドや食料しょくりょう保存ほぞんしておく場所ばしょだったとかんがえられます。一粒ひとつぶながさ5mm、はば3mmというおおきさです。いねたばになった状態じょうたいけたものだろうとおもわれます。
炭化米(亀山城跡)
炭化米たんかまい亀山城跡かめやまじょうせき



21.倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう
   400年前ねんまえ元和げんなねん(1617)) 亀山市歴史博物館かめやましれきしはくぶつかん明倫館文庫めいりんかんぶんこ
 1080ねんほどまえ(10世紀せいき)につくられた、いまのこっているなかでもっとふる漢和辞書かんわじしょです。「もの水漿すいしょう)」という項目こうもくに、「糄𥻨ひめ」があります。「姫飯ひめいい」のことで、かまいためし意味いみしていますが、「こめをたくさんのみずたもの」と説明せつめいされています。かめなべこめべていたことがわかります。
倭名類聚抄
倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう



カマド(網中遺跡あみなかいせき
 1250年前ねんまえ〜1150年前ねんまえ(8世紀せいき後半こうはん〜9世紀せいき中頃なかごろ)の住居じゅうきょからつかったカマドのあとです。かめささえるためのいしぐちもうけられています。
カマド(網中遺跡)
カマド(網中遺跡あみなかいせき



豆知識まめちしき

りょう

 ものは、はやしもりから動物どうぶつ植物しょくぶつをとる、自分じぶんたちでそだてる方法ほうほう以外いがいに、かわからさかなかいをとることもありました。


22.土錘どすい
   網中遺跡あみなかいせき辺法寺町へんぼうじちょう野登小学校区ののぼりしょうがっこうく〉 まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 りょうをするとき、あみおもりとして使つかいます。このおもりつかった網中遺跡あみなかいせきは、安楽川あんらくがわ左岸さがんにありますから、かわさかなとき使つかったのではないでしょうか。
 おもりそのものについててみると、しんになるものに粘土ねんどをまきつけて、かたちととのえてつくっています。
土錘(網中遺跡)
土錘どすい網中遺跡あみなかいせき



23.土錘どすい
   地蔵僧遺跡じぞうそういせき川崎町かわさきちょう川崎小学校区かわさきしょうがっこうく〉 まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 おなかたちですが半分はんぶんだけのこっています。のぞいてみると、あながあいてくだかたちになっています。土錘どすい縄文時代じょうもんじだい(12000年前ねんまえ〜2700年前ねんまえ)に登場とうじょうしますが、くだかたちになるのは、弥生時代やよいじだいになってからです。
土錘(地蔵僧遺跡)
土錘どすい地蔵僧遺跡じぞうそういせき


AMS〜(Acceleratorアクセラレーター Massマス Spectrometryスペクトロメトリー加速器かそくき質量しつりょう分析法ぶんせきほう)による弥生時代やよいじだい年代ねんだいについて〜

 弥生時代やよいじだいはいつからはじまったのでしょうか?こめつくはじめることが弥生時代やよいじだいはじまり、とかんがえられていますが、それは何年頃なんねんごろのことなのでしょう。
 料理りょうりをするために使つかった土器どきかめ)の表面ひょうめんについたススを科学的かがくてき調しらべるという方法ほうほう開発かいはつされました。料理りょうりするとき使つかわれたがいつのものか調しらべてみよう、ということです。2003ねん国立歴史民俗博物館こくりつれきしみんぞくはくぶつかんは、この方法ほうほう調しらべた結果けっか発表はっぴょうしました。その報告ほうこくによれば、これまでやく2400年前ねんまえとされていた稲作いなさく開始時期かいしじきは、500ねんふるくなり、やく2900年前ねんまえにまでさかのぼるのではないかとの意見いけんべられています。



   

凡例・自由研究ノート等土で作る煮る・炊く蒸す盛りつける蓄える祀る土の利用昔と今のくらしさいごに

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