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5.蓄える

 米作こめづくりをするくらしでは、あきみのりをむかえるとたくさんのこめがとれました。あきにはこめほかにも色々いろいろなものがみのったでしょう。これらは、つぎとしえるたねとしてたくわえておく必要ひつようがあります。そのために、保存容器ほぞんようきがつくられます。それが、「つぼ」です。くびがほそく、くちちいさいつぼは、みのりを小動物しょうどうぶつべられないようにするにはうってつけのかたちです。


39.土師器はじきつぼ保存容器ほぞんようき
   於登志遺跡おとしいせき山下町やましたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 2100年前ねんまえ紀元前きげんぜん世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 つくったこめ乾燥かんそうさせたべもののたねなどをたくわえておきました。高床式たかゆかしき倉庫そうこなか竪穴たてあな住居じゅうきょなかでもたかいところにいておくことで、ネズミなどにべられることをふせいでいたとかんがえられます。
 つぼ表面ひょうめんてみましょう。表面ひょうめんには、くしのようにさきこまかくわかれたでつけたかざり(文様もんよう)があります。梯子はしごのようなかたちえがいています。
土師器壷(於登志遺跡)
土師器はじきつぼ於登志遺跡おとしいせき



40.土師器はじきつぼ保存容器ほぞんようき
   於登志遺跡おとしいせき山下町やましたちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 2000年前ねんまえ(1世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 すこくびほそくなりました。表面ひょうめん注目ちゅうもくしてみてください。直線ちょくせんだけを使つかってたくさんの文様もんようきざまれています。くち部分ぶぶんは、3ぼん直線ちょくせんななめにかれています。容器ようき部分ぶぶんは、つぼ周囲しゅういをめぐる横線よこせん三角さんかくかたちとそのなか直線ちょくせん何本なんぼん不思議ふしぎ文様もんようです。
 このつぼは、はかからつかりましたので、はかでのおまつりに使つかわれたようです。たくさんのみのりがあるようにいのったのかもしれません。
土師器壷(於登志遺跡)
土師器はじきつぼ於登志遺跡おとしいせき



41.土師器はじきつぼ保存容器ほぞんようき
   柴戸遺跡しばといせき栄町さかえまち川合町かわいちょう亀山東かめやまひがし井田川小学校区いだがわしょうがっこうく〉 1900〜1800年前ねんまえ(2〜3世紀せいき) まちなみ文化財室ぶんかざいしつ所蔵しょぞう
 容器ようきまるくなってそこがとがってきました。
 表面ひょうめんにはほとんど文様もんようがありません。毎日まいにちのくらしのなかで、保存ほぞんのために使つかわれていたとかんがえられます。模様もようがないシンプルな容器ようきは、普段使ふだんづかようだったのではないでしょうか。
土師器壷(柴戸遺跡)
土師器はじきつぼ柴戸遺跡しばといせき



42.須恵器すえき大甕おおがめ保存容器ほぞんようき液体用えきたいよう)〕
   太岡寺古墳群たいこうじこふんぐん太岡寺町たいこうじちょう神辺小学校区かんべしょうがっこうく〉 1550年前ねんまえ(5世紀せいき後半こうはん) 三重県みえけん埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター所蔵しょぞう
 4コーナーでも紹介しょうかいしました「須恵器すえき」というとてもかた土器どきでできています。須恵器すえき特徴とくちょうは、みず空気くうきとおさないということです。そのため、液体えきたい保存ほぞんもっともあった容器ようきといえます。おそらく、みずさけれておいたのでしょう。
 おおきさにも注目ちゅうもくです。とてもおおきいものです。たくさんのみずさけをおいておくことができたでしょう。
 このかめは、古墳こふんというむかしおうはかつかったものですので、はかでのおまつりで使つかわれたのだろうと想像そうぞうされます。
須恵器大甕(太岡寺古墳群)
須恵器すえき大甕おおがめ太岡寺古墳群たいこうじこふんぐん




   

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